
1,ジェットフォイルで佐渡へ!波しぶきと旅のプロローグ
実は、娘夫婦が新潟にいるので、孫に会いに年に何回か新潟に行きます。
朱鷺メッセからは、佐渡汽船が見えますが、今まで訪れたことはなく、一度行ってみたいと思っていました。
乗船前に立ち寄ったホテル日航新潟でのビュッフェランチは、子供たちやお父さんには少し不評というちょっとしたハプニングもありましたが、それも旅の楽しいプロローグ。

新潟港を出発し、いよいよ2泊3日の佐渡島の旅がスタートしました。

佐渡汽船のジェットフォイルに乗り込み、水面を滑るように進みます。
2階席からの眺めはスピード感にあふれていて、流れる景色を写真に収めるのはなかなか難しかったものの、島へ近づくワクワク感で胸がいっぱいになりました。

夕方16時、両津港へ無事に到着。港内でスムーズにレンタカーを手配し、まずは両津のゲストハウスへ向かいました。
2,両津港での偶然の引き合わせ|北一輝のと日蓮宗の深いつながり
チェックインを済ませて周辺を歩いていると、偶然にも「北 一輝・昤吉 両先生彰徳碑」がすぐ近くにあることを知りました。

私は、個人的に「2,26事件」に興味を持っており、北一輝は佐渡出身とは知っていたのですが、この看板を見るまで、気づきませんでした。

佐渡出身の思想家「北 一輝(きたいっき)」とその実弟で法学者・政治学者の「北 昤吉(きた れいきち)」兄弟の功績を称える彰徳碑の案内看板です。
北 一輝(兄・1883〜1937)
『日本改造法案大綱』などを著し、昭和初期の国家革新運動や青年将校たちに多大な思想的影響を与えた近代日本史上の思想家です。二・二六事件の思想的首謀者とみなされ処刑されました。
北 昤吉(弟・1885〜1961)
早稲田大学教授や多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)の初代校長などを務めた哲学者・思想家。
戦後は衆議院議員(自由民主党など)としても活躍し、兄の一輝とは異なる立場で近代日本の論壇・政界に影響を残しました。

北一輝は、実はこの佐渡・両津の湊(みなと)の出身。
有力な酒造業を営む家に生まれ、若くして佐渡の豊かな自然と風土の中で育ちました。
その後、生家は一輝の若い頃没落しました。その後、かまぼこやになったり現在は、地域情報誌を発行している「溟北舎」があるようです。
お墓も勝広寺の青山墓地(佐渡市吾潟)にあるそうです。
彼を語る上で欠かせないのが、深く傾倒した「法華経(日蓮宗)」の存在です。
佐渡といえば、かつて日蓮聖人が流罪となり、『開目抄』や『観心本尊抄』を著した法華信仰の極めて重要な霊地でもあります。
北一輝自身も法華経の教えに強い啓示を受け、日蓮聖人を深く崇敬しながら独自の国家革新思想を築き上げていきました。

佐渡の流人文化や思想の歴史に思いを巡らせていた旅の初日に、まさか宿泊先のすぐ隣で北一輝のルーツと日蓮宗の深いつながりに触れることになるとは思いも寄らず、まるで島に導かれたような不思議なご縁を感じずにはいられませんでした。
(佐渡は、世界遺産に認定されてから、宿もいっぱいとのことで、仕方なく両津港のゲストハウスにしたのですが、呼ばれた理由がわかりました。ここに泊まらなければ、見つけなかったでしょう。)

歴史のロマンに浸った後は、お楽しみの夕食へ。
今夜は前もって予約していた地元の名店「長三郎寿司」さんにお邪魔しました。

暖簾をくぐると、気さくで温かい女将さんが迎えてくれます。
カウンターに並ぶのは、両津湾で獲れたばかりのピチピチと鮮度抜群な海の幸。
佐渡の旬の地魚を握りで贅沢に堪能しました。
写真は、佐渡のおまかせ寿司、のどくろがおいしかった。

写真は、佐渡名物おけさ巻き(中身は、ブリの中落ち、梅肉、シソ。キュウリをシャりと海苔で巻いたもの)

そして、このお店のもうひとつの名物が「お寿司屋さんなのに中華が食べられる」こと。
地元でも大人気の餃子をいただき、締めにはハーフラーメンを注文しました。
お寿司の後にラーメン?と一瞬思いますが、澄んだスープは驚くほどあっさりとしていて、出汁の旨みが体に染み渡る絶品。お腹も心も大満足のディナーとなりました。

思わぬ歴史の引き合わせと、港町の温かい味覚に出会えた佐渡の初日。
心地よい余韻に包まれながら、明日訪れる佐渡金山や近代産業遺構の探訪に向けてゆっくりと夜を過ごしました。
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