
1,DX化の時代だからこそ、守りたい暦と風土
東京一極集中が進み、あらゆるものがDX化(デジタルトランスフォーメーション)されていく現代。
効率性や利便性と引き換えに、私たちがどこかに置き忘れてしまいそうになっている「日本人の心性」への危機感を、日ごとに強く感じています。
私がライフワークの一つとして「算命学」に取り組んでいるのも、まさにその危機感が出発点です。
西洋暦にはない、豊かな自然のサイクルや知恵が詰まった「干支」という素晴らしい暦の文化を、次の世代にしっかりと残していきたい――。その強い想いが、私の活動の根底にあります。
それで、前回は、宮古島の砂川暦について書きました。

振り返ってみれば、こうした「古き良き日本」や土地の風土への関心は、一朝一夕に生まれたものではありませんでした。
中学生の頃、NHKの『新日本紀行』のあの切なくも温かいメロディーが流れてくると、なんとも言えない心地よさと郷愁を覚えたものです。
あの頃から私の中に蒔かれていた探究の種が、今、様々な活動へと繋がっているのかもしれません。

2,17年前の沖縄の記憶、そして初めての「宮古島」へ
そんな私が、島の精神文化に深く惹かれるようになった原点は、今から15年ほど前に訪れた沖縄本島、久高島への旅でした。
当時は吉野裕子先生の著作を読み解く中で、沖縄の精神文化の奥深さにすっかり魅了されていました。
実際に現地へ赴き、聖地である「御嶽(うたき)」に強い興味を惹かれ、斎場御嶽(セーファウタキ)から久高島へと続く「東御廻り(あがりうまーい)」を体験したのです。
沖縄の創世神話が、日本のさらに深い古層の文化と地続きで繋がっているようなあの感覚は、今でも肌が覚えているほど強烈で、エキサイティングな体験でした。

そしてこの度、私にとって初めてとなる「宮古島」を訪れることになりました。
今回は水琴の大橋先生とのありがたいご縁をいただき、宮古島に向かいます。
沖縄とはまたちがった観点で、島の精神文化と真っ直ぐに向き合う機会をいただき、身の引き締まる思いです。

3,旅の道標となる一冊:『民俗学を生きる』
宮古島を訪れるにあたり、島の民俗学的な背景を少しでも深く知りたいと思い、いくつかの文献を集めました。その中で面白いと思った一冊があります。

それが、関西大学教授であり世界民俗学研究センター長も務められている、島村恭則先生の著書『民俗学を生きる:ヴァナキュラー研究への道』(晃洋書房)です。
『民俗学を生きる:バーナキュラー研究への道』
人文科学が衰退していると言われる今日、これほど濃密で圧倒的な研究人生が一冊の本として出版されていることに、まずは深い衝撃を受けました。学生時代から現在に至るまでのフィールドワークの軌跡、研究成果、修士論文のリライトなどが網羅されており、まさに研究者としての情熱の集大成です。
私が本書を手にとった最大のきっかけは、宮古島に関する記述が含まれていたからでした。
島村先生は大学の卒業論文の際、宮古島の「狩俣(かりまた)」部落に深く入り込み、フィールドワークを行っています。
そしてこの卒業論文をリライトして、日本民族学会の学会誌日本民俗学『民間巫者の神話的世界と村落祭祀体系の改変―宮古島狩俣の事例』という論文で学会デビューしているのです。
その若き日の圧倒的な熱意と、どこまでも泥臭く本質に迫ろうとする探究心には、ただただ脱帽するばかりです。
本書では、宮古島のシビアな祭祀だけでなく、喫茶店の「モーニングサービス」や引き揚げ者の研究など、身近な日常のあらゆる事象が民俗学の対象になる面白さも語られており、ページをめくる手が止まりませんでした。
実は、私はもともと大の歴史好き。大学も史学科を志望していましたが、当時は母から「史学科では食べていけないから」と諭され、法学部に進んだという経緯があります。
面白いことに、私の主人もまったく同じように地理や歴史を愛しながらも法学部に進んだというエピソードがあり、「もしあの時、歴史の道に進んでいたら、どんな人生だったかしら」と、時折二人で微笑ましく語り合うことがあります。
形は変われど、失われつつある日本人の心性を探究したいという想いは、今も私の中に深く、太く根付いていることを再確認させてくれました。
4,文化の灯を絶やさないために、私たちの世代ができること
宮古島の民俗行事といえば、泥を塗った仮面を被った神々が人々を追いかける「パーントゥ」が広く知られています。東北のナマハゲにも通じるような、畏怖すべき存在が村を訪れ、邪気を祓い清める信仰です。
しかし、昨今の人口減少に伴い、宮古島の多くの地域が限界集落となり、こうした伝統祭祀の存続そのものが非常に難しくなっている現実があります。
目に見えない大いなるものへの畏敬の念、自然と共に生きる知恵。
これらは、私たち現役の世代が関心を持ち、記録し、守ろうとしなければ、時代の波に飲まれて永久に絶えてしまうのではないかと強く危惧しています。
算命学が伝える暦の文化も、宮古島に息づく神事の文化も、根底にある「守るべき大切な精神」は同じはずです。
5,歴史への憧憬を胸に、いざ出発
宮古島は、沖縄本島とはまた異なる独自の文化や言語、そして精神世界を持っていると聞きます。
それをこの肌で、五感で感じられるかと思うと、今からワクワクとして期待が膨らみ、胸の鼓動が高鳴るのを感じています。
かつて史学科を夢見たあの頃の瑞々しい好奇心をそのままに、神聖なる大神島、そして宮古島の世界へ飛び込んできます。
旅の途中で見つけた景色や、肌で感じた気づきは、またこちらで皆様にお福分けさせていただきますね。
それでは、行ってまいります!
