
これまで私は「旅する神様」というシリーズで、日本各地の美しいパワースポットや神聖な土地を巡り、その旅行記をブログに綴ってきました。
しかし、今になって振り返ると、それらは単なる「観光」や「お参り」の枠を超えた、私にとってのある種の「聖地巡礼」だったのだと深く気がついたのです。
なぜ、私はあの聖地にあれほど強く惹きつけられたのか。 その理由を掘り下げていくと、聖地へ足を運ぶという行為は、私自身の内面に気づき、意識の深層を見つめ、さらには先祖供養や、家族(家系)のカルマを知ることへと、目に見えない一本の線で繋がっていました。土地の神様に呼ばれる背後には、常に血脈や魂の系譜の導きがあったのです。
近々、再びあの奈良の聖地へと向かいます。この大きな節目を前に、私の原点である「天川村」と「玉置神社」の記憶を、ここで一度丁寧に整理しておきたいと思います。
1,30代、鍼灸学校時代に始まった奈良の聖地とのご縁
私と奈良の聖地との深い繋がりは、30代の頃、鍼灸の専門学校に入学した1990年代にまで遡ります。
当時、お世話になっていた実技の先生が非常に精神世界の探求に深い方で、その先生や周囲の熱いエネルギーに影響を受ける形で、私も自然と奈良の持つ深い歴史や目に見えない文化へと興味を持つようになりました。
折しも、弁財天を祀る天川村(天河大弁財天社)が、一部の芸能人や表現者の間で「ものすごいパワースポットがある」と話題になり始めた時期でした。
どのようなきっかけだったかは今では定かではありませんが、何かに強く引き寄せられるようにして、私は初めて天川の地へと足を運んだのです。
一歩足を踏み入れた瞬間に感じた、あの「言葉にできない心地よさ」は、今でも鮮烈に記憶に残っています。
2,河合隼雄氏に似た宮司、そして脳波を緩ませる深い眠り
当時の天川村は、現在のように美しく整備された観光地とは全く異なり、まだ大峯山の修験者(行者)たちが集う、厳かで静寂な空気が張り詰めた場所でした。
ホテルなどの宿泊施設もほとんどなく、私は神社の近くにある、おばあさんが営む小さな民宿によく泊まっていました。
居間に智弁和歌山高校の野球部に関するものが大切に飾られていた風景が、不思議と今も懐かしく思い出されます。
ある夜には、社殿がちょうど再建されたばかりという特別な時期だったこともあり、非常に有名な宮司さんにお会いする機会に恵まれました。
その高名な宮司さんは、ユング心理学者の河合隼雄さんにそっくりの柔和で深い風貌をされており、外国から来られた方々も同席する中で、「境内の地中には、ある宝石が埋められているのだよ」といった神秘的なお話を贅沢に伺ったものです。
そして、天川を訪れるたびにいつも驚かされたのが、「信じられないほど深く眠れる」ということでした。
身体の専門家となった今だからこそ分かります。
あの澄み切った聖地の空気と磁場が、私の張り詰めた脳波を心地よいアルファ波へと導き、無意識のうちに内面をセルフチューニング(自己調律)してくれていたのだ、と。
3,本当に「人を選ぶ」場所。玉置神社で起きた2つの洗礼
天川村で心身を緩めた後、先生との繋がりで次に知ったのが「玉置神社」の存在でした。
「神様に呼ばれたご縁がないと辿り着けない」と囁かれる場所ですが、当時の私は、まさにその言葉の重みを身をもって知る、過酷な洗礼を受けることになります。
一度目の試練は、まだあまりよく知らなかったアロマ関係の知人とレンタカーで向かった時のことです。
険しい山道を進む中、なんと車が障害物である木に接触してしまい、車両を大きく破損。結果として多額の賠償を支払うことになりました。
さらにその帰路、十津川村付近に差し掛かったところで、川の増水を知らせる不気味なサイレンが山々に鳴り響いたのです。激しい緊張感の中、濁流の気配を感じながら必死で山を下りた恐怖は、今も忘れられません。

二度目の試練は、占いの関係者たちと参拝を計画した時のこと。
今度こそはと思いましたが、なんと主催者の一人が羽田空港で飛行機に乗り遅れるという、まさかのハプニングが発生しました。結局、計画は狂い、私は一人で参拝することになったのです。
当時の私の意識の段階や波長が、玉置神社の持つ強烈なエネルギーと対峙させられ、試されていたのでしょう。玉置神社は本当に「人を選ぶ厳格な場所」なのだと痛感せざるを得ませんでした。
4,広大な面積と、天皇への強い忠誠――南朝から幕末維新へ
その玉置神社が鎮座する「十津川村」ですが、実は琵琶湖よりも広い面積を持つ、日本一大きな村です。
この広大な山岳地帯は、古くから天皇に対する忠誠心が非常に強い土地柄として、独特の歴史を刻んできました。
歴史を紐解けば、南北朝時代には一貫して「南朝」を支持し、命がけで宮方を支え続けた気骨ある民の地です。
その強い尊皇の志は、幕末から明治維新の激動期にも脈々と受け継がれ、新政府の誕生の裏で「天誅組の変」をはじめとする淒まじい反乱や動乱の舞台となりました。

かつて私が川の増水サイレンに追われながら必死で山を下りた時、命の危険とともに感じたあのピリピリとした圧倒的な圧力。
それは、この十津川という土地が数百年、数千年にわたり秘めてきた「激しくも揺るぎない気骨」であり、歴史のカルマのような重みだったのではないかと、今なら強く感じるのです。
5,最近の再訪――変わらぬ土地の力と滝行
その後、最近になって再び天川を訪れる機会がありました。 かつての秘境のような静けさから一変し、立派な宿泊施設が立ち並ぶ近代的な観光地となっていたことには大変驚きました。
しかし、どれだけ周囲の環境が変わろうとも、その土地の底から湧き上がる本質のパワーは、一切変わっていませんでした。 この再訪の際には、自らをさらに深く清めるために「滝行」にも挑戦しました。
肌を刺すような冷徹な水の冷たさに、文字通り身も心も一気に引き締まり、魂が洗われていく感覚を覚えました。
帰りがけに、昔ながらの名物である「陀羅尼助」を購入した時、私の身体の細胞が奈良の記憶を思い出したかのような懐かしさに包まれました。
かつては大阪から近鉄線に乗り、五條駅からタクシーで険しい険しい山道を越えて向かった天川村。
アクセスや時代が変わっても、私にとって奈良の聖地は、訪れるたびに命の奥底から何かが沸き起こる特別な場所であり続けています。
6,そして心身を整え、魂の巡礼へ
過去の「旅する神様」の経験をすべて経て、近々私は再びあの玉置神社へと向かいます。
なぜ今、このタイミングなのか。それは、これまでの旅の点がすべて線で繋がり、「自分の意識の深層を見つめ、先祖から受け継いだ家系のカルマを紐解き、昇華する」という、本当の意味での聖地巡礼のタイミングが満ちたからに他なりません。
玉置神社という、圧倒的な歴史の重みと強烈なエネルギーを持つ聖地へ向かうからこそ、今回は事前の準備を何よりも重んじます。
いきなり本殿へ向かうのではなく、かつて命がけで山を駆けた行者たちの足跡に想いを、厳かに心身を調律する予定です。
過去に何度も味わった「試された経験」があるからこそ、今回はこれまで以上の深い畏敬の念と、静かな覚悟を持って、あの地へ一歩を踏み出します。
この特別な巡礼の果てに、自分の深層意識や先祖の系譜から、どのような気づきやメッセージを受け取ることになるのか――今から身が引き締まる思いです。
新しく見えた景色についての詳細なレポートは、無事に戻ってきてからまたブログで丁寧にお届けしますね。
どうぞ楽しみにしていてください。
次は、【魂の巡礼1】夏至の吉野・丹生川上神社巡礼〜時を超える感謝の旅~になります。
