なぜエンライト事業というのか【エンライト物語1】

いきなりですが、
実は、私は2年前に、両親を相次いでなくし、
今年無事三回忌を迎えました。

そして、阿佐ヶ谷のパール商店街の店舗を
母から相続しました。

戦後の建物なので、
漏電しかかったこともあり、
建て替えることになりました。

パールセンターは、権現みちといわれ、
北の子の権現から南の堀内の妙法寺までの参詣道で、
多くの人がお詣りした道でした。
また大宮八幡宮の大鳥居付近で鎌倉古道につながっています。

夏の七夕祭り、秋にJAZZストリートなど大イベントがあり、
東京でもにぎわっている商店街ですが
この頃は店主の高齢化とともに
ご自分で商売するより店舗を貸して
大企業の支店が入る
ナショナルブランドが多くなっています。


そんな中、母から店舗を相続するにあたっても、
阿佐ヶ谷商店街の活性化、地域おこしの
問題解決をどうしたらよいのか悩んでいました。

ちょうどその時北九州市で
数々のリノベーションを手掛け空地対策、街おこしの
第一人者の田村晟一朗先生と出会い
先生が講師をなさっている、
直方市主催のエンボルに参加しました。

エンボルスクールでは、エンライト事業に対する
設計をお願いすることになりました。
田村晟一郎先生と出会いエンボルスクールに入る

2階建ての建物が2棟エンライトビルをたてます

その間の空間には、3件のテントを設置し、
ここをエンライトマルシェとして運営していくつもりです。

この事業をエンライト事業と名づけました。
というのは私はマヤ暦では、kin60。


人生の使命をあらわすという、
太陽の紋章は、黄色い太陽で、
まさにエンライトメント(光をもたらす)
が人生の使命だからです。

写真は、エンライトビルのシンボルとして求めたものです。


このエンライトビルでは、
2階建ての2棟建てるのですが
その間の空間でテント3台設置し
エンライトマルシェをやる予定です。

まずマルシェで自分のやりたい事
販売したいなどの第一歩を踏みだしたい方の
応援になればと思っています。

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